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高畑勲監督作品 火垂るの墓 追悼放送

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2018年4月13日(金)は、高畑勲監督追悼放送として、映画「火垂るの墓」を放送します。東京都内の病院で肺がんのためにお亡くなりになった高畑勲監督の代表的なアニメーション作品を急遽放送することとなりました。

 

2018年映画情報です。

高畑勲監督作品 火垂るの墓 追悼放送

 

 

番組情報

 

■タイトル:火垂るの墓

 

■放送局:日本テレビ

 

■放送日:2018年4月13日(金) 21:00スタート

 

高畑勲監督作品 火垂るの墓 追悼放送

 

2018年4月13日(金)からは、

映画「火垂るの墓」を放送します。

 

映画「火垂るの墓」を見ると、

「戦争」という愚かさを繰り返してはならないと、

強く思わせられる作品である。

 

「戦争」さえなければ、

幸せな人生を過ごせたはずの幼い兄妹が、

無残な最後を迎えてしまったことが悲しく思います。

 

誰もが好きで戦争を行うわけではないと思いますが、

「戦争」をした結果、弱い所にしわ寄せが来てしまう。

 

そんな姿を描いた高畑勲監督の追悼放送として、

映画「火垂るの墓」の放送です。

 

高畑勲監督の作品には、

「かぐや姫の物語」「おもひでぽろぽろ」「じゃりン子チエ」などがある。

 

映画「火垂るの墓」あらすじ/ネタバレ

 

1945年(昭和20年)9月21日、

清太は省線(現在のJR東海道本線(通称・JR神戸線))三ノ宮駅構内で衰弱死した。

 

清太の所持品は錆びたドロップ缶。

その中には妹・節子の小さな骨片が入っていた。

 

駅員がドロップ缶を見つけ、

無造作に草むらへ放り投げる。

 

地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに、

蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。

 

太平洋戦争末期、

兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区[注釈 1])に住んでいた4歳の節子と、

その兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、

父の従兄弟の嫁で今は未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。

 

最初のうちは順調だった共同生活も戦争が進むにつれて、

二人を邪魔扱いする説教くさい叔母との諍いが絶えなくなっていった。

 

居心地が悪くなった清太は節子を連れて家を出ることを決心し、

近くの満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが、

配給は途切れがちになり、

情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、

節子は徐々に栄養失調で弱っていった。

 

清太は畑から野菜を盗んだり、

空襲で無人となった人家から火事場泥棒し、

時には見つかり殴られた上に派出所に突き出されながらも飢えをしのいだ。

 

ある日、

川辺で倒れている節子を発見した清太は、

病院に連れていくも医者に「滋養を付けるしかない」と言われたため、

銀行から貯金を下ろして食料の調達に走る最中に、

日本が降伏して戦争は終わったことを知った。

 

清太は日本が敗戦し、

父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。

 

節子に食べ物を食べさせるものの既に手遅れで、

節子は終戦から7日後の8月22日に短い生涯を閉じた。

 

節子を荼毘に付した後、

清太は防空壕を去る。

 

その清太もまた栄養失調に侵されており、

身寄りも無いため三ノ宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死んだ。

 

清太は他の2、30体の死体と共に荼毘に付され、

無縁仏として納骨堂へ収められた。

 

高畑勲監督作品 火垂るの墓 追悼放送でした。